アラン・チューリング-computerの基礎を築いた数学者-

アラン・チューリングの功績

アラン・チューリングは、チューリングマシーンなどで有名なイギリスの数学者です。「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者」と言う映画が公開もされています。現代では、ITやPCなどが広範に利用されており、なくてはならないものとなっています。しかしながら、チューリングがいなければ、今のIT技術もないし、スティーブ・ジョブスのアップルも、ビル・ゲーツのマイクロソフトもなかったかもしれません。それほどIT技術に大きな影響を与えた天才数学者がアラン・チューリングだと言えると思います。

アラン・チューリングの人となり

アランチューリングは、1912年にロンドンで生まれました。そして、彼は後にコンピュータ科学の創始者、暗号解読者として名をはせることになります。パブリックスクールでは、15歳のときに、独自で、πに関する級数であるグレゴリーの級数を見出しています。\(π/4=1-1/3+1/5-1/7+・・・・・・・・\)がグレゴリー級数です。これは、\(tan^{-1}x\)をマクローリン展開すれば、割合簡単に求めることができます。アランは、ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジに入学しています。修士課程で、ゲーデルの不完全性原理に関する講義をきき、彼は衝撃を受けたと言います。「いかなる無矛盾な公理体系のなかにも、真か偽か決定できない命題が存在する。」それまでの数学者は命題は、真か偽かいずれかである、と信じてきたのですから、この定理は大きな衝撃を与えました。若くしてアランはキングスカレッジのフェローに選ばれ、その数学的な才能は大きく開花していきました。アラン・チューリングは、ゲーデルの言う真か偽か分からない命題が存在するなら、与えられた命題の判定を有限回の操作でできる一般的な方法がないものかを考察しました。そして、「計算可能性について」と言う1937年の論文で、有限回の操作で命題の真偽が判定できる一般的な方法はないことを証明しました。これで、アラン・チューリングの数学者としての名声はとても大きくなりました。

第2次世界大戦と暗号解読機エニグマ

第二次世界大戦がはじまり、ドイツのナチスが台頭してきたときに、ナチスの暗号に極めて強力なものがあり、その解読に連合国側は苦慮していました。ドイツはエニグマと言われる暗号機械を全軍で用いていました。1939年の大戦勃発以降、アラン・チューリングをはじめとする数学者がケンブリッジとオックスフォードに集められ、暗号解読の研究をすることになったのです。チューリングをチーフとするこのチームは、昼夜を徹し暗号解読法の仕事に没頭しました。1940年後半から、徐々に暗号解読ができるようになり、イギリスはドイツ軍からの攻撃から免れることができたのです。アラン・チューリングの図抜けた才能とアイデアがチームをリードし、一国を救ったのです。暗号解読には、置換群論が利用されたのみならず、数学的思考そのものが力になったと言われています。

戦後のアラン・チューリング

戦後、チューリングは数学研究に戻れませんでした。6年間の数学的なブランクは大きなものでした。戦後アラン・チューリングは、暗号解読の功績を称えられることもなく評価もされませんでした。1952年、アラン・チューリングは、ホモセクシャルの容疑で逮捕され、政府はコンピュータ・プロジェクトから外されてしまったのです。このような状況から、アランはうつ状態となり、1954年に青酸カリ中毒でなくなりました。

アラン・チューリングの名誉回復

今では、アラン・チューリングは、コンピュータ技術、IT技術をを創始した天才数学者として再評価されており、IT関係の著名な賞として、チューリング賞があります。アンドリュー・ホッジスによる「エニグマ アラン・チューリング伝 上下」がアラン・チューリングの伝記として、詳しく書かれています。映画 「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」 も良いかもしれません。アカデミー賞に5部門ノミネートされ、脚本賞をとっています。

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